戸塚祥太、その非都会的美形という特異について(「熱海殺人事件」感想に代えて)
戸塚さん、27歳のお誕生日おめでとうございます。それに引っ掛けてというほどでもないですが、まあ引っ掛けて、この数ヶ月ずっと書きたかった「熱海殺人事件」のことを私は書きたい。制限時間は2時間。どこまで行けるか、またはいかに語りつくせるかというところではありますが、とりあえず誕生日中に書きたかった。私が「熱海殺人事件」で見た知った戸塚祥太という人間の一部について。
細かいあらすじは省きますが、私が観た「熱海殺人事件」は大きく分けて3つの階層、「美醜」「貧富」そして「都会/ムラ」の、いずれも"下層"であるがゆえの至極ニヒリスティックな物語でした。とにかく虚しい。それはひとえに、アイちゃんと金ちゃんのディスコミュニケーションが徹底的だったからではないでしょうか。美しく生まれた金ちゃん、「ショーウィンドーの前で俯くくらいの礼儀は知っていた」ブスに生まれたアイちゃん、雇い主に騙されたことにも気づかず職工でわずかばかりのカネを稼ぐ金ちゃん、整形して身体を売って稼いだアイちゃん。どう考えても絶望的に「違う」存在である二人は、九州から東京にある意味の逃げ場を求めて出てきた田舎者であるというどうしようもなく惨めな共通項を持っていた。テーマとしては人間の美醜、貧富、そしてムラ社会/東京…という対比の、しかも「劣」の方にスポットを当てるという相当やり切れない作品だったんだけどw、その虚無感を悟らせずひたすら流してたとこが一清演出すげえと思ったとこ。極力汚いものから目を背けたいジャニヲタ向けになってるw
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
二人のディスコミュニケーションがもっとも際立つのは、アイちゃんを好いた金ちゃんがありったけの、しかしぼろぼろの札束を握らせて「この金でもとの顔に戻して一緒に田舎に帰ろう」というシーンで。もう私はこのシーンの絶望感を一生忘れないと思うwいろいろな要素はあれど、このセリフを「美青年」の金ちゃんが、「ブス」のアイちゃんに言うのです。なんの後ろめたさもない、希望に満ちた声色で。ここで金ちゃんの罪深いデリカシーのなさとエゴ、そしてアイちゃんのやるせなさが爆発する。
そんでこの絶望感を際立たせるために、戸塚さんの美貌はすごく効果的だったという話をしたいワケです。ここからが本題。ジャニーズ版「熱海殺人事件」がここまでの絶望感を演出できたのは、きっと戸塚さんの美形が都会的ではないからだった。ここが私の熱海戸塚ショックの第一撃であるw
金ちゃんは「学も金もない田舎者、だけど美形」だったんじゃない。「美形が何の役にも立たない無学で貧しい田舎者」だったのだ。この絶妙な順列の違いは、デリカシーに満ちた都会の美形では決して成り立たなかった。私の知らない「美形の悲劇」がそこにありました。私はいわゆる傾国の美少年的な、美しさゆえに人を惑わせたり、自らが悲劇を背負う物語しか知らなかった。けれど戸塚さんが作り出した金ちゃんは、片田舎でただただ下水のように美しさを無駄に垂れ流して、その無自覚とデリカシーのなさでアイちゃんに絶望を背負わせてしまう。これはスマートな都会の美形では成り立たなかった物語でありましょう。このアハ体験は当時の私のツイートを貼って割愛するw
熱海感想。そんで美醜の「醜」のやり切れなさを表現するにあたり、対比として戸塚さんに「無自覚・無邪気に人を傷つける、デリカシーのない田舎の美形」という役柄が与えられてたのがかなりぞっとする出来事だったwww
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
今まで戸塚さんの無自覚にデリカシーのないとこにあんま気づかなかったんだけど、それは本人が上手く隠してたからなんだなあとw 一清演出で戸塚さんの外面の良さに隠されていたエゴイスティックな一面が見えてきてハッとした。これはセルフプロデュースでは決して生まれ得ない。素晴らしい。
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
戸塚さんが「己の美貌が人を傷つけうる」ということに一生気づかないであろうところも最高なワケですよ。戸塚さんって基本的に敏いのに、自分に関することだけは異常に無自覚にデリカシーなくてゾクゾクする。熱海殺人事件は戸塚さんのパンドラの箱の底にあるみたいな魅力が見える作品だった。
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
はあああ…やっぱ無自覚な美形が人を傷つける、っていうのがこう、深いわ…。双眼鏡で見ながら、あーーほんとだ!戸塚さん都会的な、デリカシーに溢れてて自覚的な美形じゃない!片田舎の人を傷つける無自覚な美形だよね!!それこそが人間の悲劇を生むよね!!!ってやたらと興奮してしまった
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
だので「熱海では戸塚さんの美しさが活かされてる!」って間違ってはないんだけど、オタクが好きな傾国のなんちゃらみたいなやつじゃなくて、あくまでやり切れないドラマを生む原因としての美形だから!!
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
もちろん「熱海殺人事件」はフィクションなので、金ちゃんがそのままイコール戸塚さんだとは当然思ってないよ。w けど私が知ってる戸塚さんはいつもジャニーズ舞台の戸塚さんで、それは「本人の造型にお情け程度のフィクションを加える」程度のものでしかないから、こういう形で「フィクションに役者の要素を注入する」役がすごく新鮮でだからこそ見えてくるものが多かった。一清も相当キツい戸塚さんの要素を抽出したなあって本当に感動するんだけど…w 意地の悪い言い方をすれば、革命の大将軍様も「ゴーストママ」のバイトくんも、「戸塚祥太ではない誰か」にしか過ぎなかった。けれど「熱海殺人事件」は「大山金太郎」という確固たる人格に「戸塚祥太」が絶妙にシンクロする配役だからこそ、本人すらも気づいていないであろうそのシンクロの部分に異常な説得力が生まれていたような気がするのです。逆に言えば、戸塚さんが飼っていた「大山金太郎」の部分を引きずり出されたというか。そして最近気づいたことに、私はアイドルが無自覚に飼っている、あるいは隠そうとしている人間臭い難点を見つけてしまうとその人のことがとても好きになるのですね。なんという下衆!w*1 なのでたぶん私熱海を観てきっと戸塚さんに推し変したんだと思う…(他人事)(特にスイッチがあったわけじゃないけどなんとなくジャニーズ伝説ではめっちゃ戸塚さんを見てしまった…)。語弊を恐れずにいえば、私は戸塚さんが飼っていた「ダサい美形」「デリカシーのないエゴイスト」にめちゃめちゃツボってしまったのだ。これはきっといわゆるジャニーズ舞台を観ているだけでは決して気づけなかった。けどこれに気づくと「あの」A.B.C-Zの中にいる戸塚さんがすごく面白く見える。いくらジャニヲタつっても、一人のタレントの3Dな部分に気づけるチャンスはあんまりないよね。それはジャニーズという構造自体がタレントをわざと2Dに見せる方法論で動いているからでしょう。「外部仕事」はいつだって2Dに違う1次元を加えてくれる。だから私はタレントには「外部仕事」をやってほしいと思っているのです。本人も知らない要素を引きずり出してほしいから。私はこれから先、何をしてもジャニーズの構造を崩さないA.B.C-Z*2の中にいる戸塚祥太に大山金太郎の影を目ざとく探すでしょう。えびさんにそういう楽しみを見出せることを知った「熱海殺人事件」は私にとって結構大きなものでした。誘ってくれたどさんこさんありがとう。w どうかあなたの中の金ちゃんを殺さないで。外野からではありますが、27歳の戸塚さん、そして27歳の戸塚さんを擁するA.B.C-Zを楽しみにしています。その後「幾らあれば顔を戻せる?顔も心もアイちゃんに戻って田舎に帰らないと」みたいなセリフを放つところが戸塚金ちゃん本当に無責任で酷い。顔が変わっても心まで変わるわけじゃないし、顔を戻したからといって心まで戻れない…こんな当たり前のことが分からないのは金ちゃんが美青年だから…
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 21, 2013
さて、本来はもっと違うことが書きたかった熱海感想まとめw これはアイデンティティの物語である、とかいろいろと言いたいことはあるんだけど、もはや思い出せないので(長文は鮮度が大事…)ツイートを拾ってまとめに代えさせて頂きます。
そういやいまさら気づいたんだけど、ジャニーズ版熱海殺人事件は、流行りの本や映画こそを教養だと思い込み、東京で「指紋さえなくなってしまった」=アイデンティティを失った男が、東京で顔を変えて後天的なアイデンティティを得た女を殺す話なんだよねえ…
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) August 1, 2013
自我の話わりと専門なのに気づかんかった。九州の片田舎でもブスだったアイちゃんは、金ちゃんにとってはアイデンティティの欠落を共有する同類だったんだろうねえ、そしてアイちゃんは東京という同じ地で抜け駆けしたから殺されたのだ…
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) August 1, 2013
金ちゃんを殺意に駆り立てたのは嫉妬だと考えるのが私は一番しっくりくるなあ。「死ぬほど愛すか、殺すほど憎むか」、金ちゃんの愛と紙一重の憎悪はきっと嫉妬の形をしていたのだ
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) August 1, 2013
昨日からしつこく貧富、美醜、東京的なモノへの憧れ、みたいなものがジャニーズ版・熱海殺人事件のテーマなのではないかと言っているのですが、この作品の本質が切なくてやりきれないのはそのいずれも「貧」「醜」「田舎」から光を当てているからなのだなーと改めて。
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 22, 2013
熱海では醜い者や貧しい者、田舎者がすごく差別的に語られるんだけれど、その差別が「優れている者が見下す」形の差別なのではなく、同じ土俵に立っている者から「お前も所詮同類なんだよ」と言われてるような同族の憐憫であるところがつらい。
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) July 22, 2013
しかし松竹座アナザーはオール関西弁で成り立つ物語のボーダーとは…という気持ちになったw関東人の選民思想と言われればそれまでなんだけど、やっぱ方言の生んでしまう何かはあって、それは生き死にのシリアスにはどうもそぐわないのなー
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) August 31, 2013
突然松竹座の話がインしてくるのはこれを大阪へ向かう新幹線の中で打っていたからだwそういう意味で熱海の金ちゃんの標準語と九州弁の使い分け(というか…だけど)は効果的だったな。タテマエとしての標準語。
— id:LOVEMACHINES (@overflowingdays) August 31, 2013
もっかい戸塚さんで熱海が観たいよーー。って思えるのは私がえび担、戸塚担ではないからだろうなw 2Dの戸塚祥太を愛でていたい人にとって熱海は雑音でしかなかったことでしょう。本当に戸塚担にはいまさら心からのお疲れさまを言いたい…w でもまた外部舞台やってね戸塚さん!!
最後に今回のバージョンではないですが、「熱海殺人事件」のシナリオを貼っておく。
http://www.trend-share.com/tuka/engekikan3/index.html