「家」を失ったSMAPの来し方と行く末(「笑っていいとも!」最終回感想に代えて)

笑っていいとも!」が終わったので、スマヲタとして何か書いておかなければならないような気がする、という行き当たりばったり。
そもそも私は約10年前からのスマヲタで、その間も当然「いいとも」は途切れなくやってたわけですが、みんな書いているように「いいとも」に対する思い入れはそんなにないw これまた色んな人が言ってるだろうけど、中居はなんであんなにいいともで態度が悪いんだってイラッとした記憶ならあるのに、中居もいつの間にか、ここ数年はまるで終わりを予期したかのように楽しそうにやってましたね。SMAPの3人がレギュラーを始めて約20年。慎吾と中居とつよし(ちょっと歴の短いつよしも入れちゃいますけど)がバラエティの何たるかを知り始めたのが「いいとも」だとすればやっと成人、やっと独り立ちの年数か。私が見ていた「いいともの中居」は反抗期だったのかもしれない。でもよく考えてみれば、反抗期が発露するのはだいたい家族だし、そういう意味でもあの3人にとって「いいとも」は家そのものだったのだと思う。
幸いにして「いいとも」の最終回もグランドフィナーレも家でリアタイしたんだけど、それは「いいとも」への敬意とか愛だけじゃなくて*1、今日まであって明日もあると思っているものがなくなる瞬間に興味があったからなのだろうなー。あまりにも反復され尽くしてしまった「明日も見てくれるかなー?」で30年以上の歴史に幕を下ろした「いいとも」。このキャッチフレーズが嘘になる瞬間は3月31日が最初で最後だったんだね。私はこの手のループモノが大好きなのですが*2、「ビューティフル・ドリーマー」(うる星やつら)の「本当に今日と違う明日が来るというのですか!?」を思い出したりもした。あとエンドレスエイトハルヒ)も…もうほんと私この手の日常と非日常が交錯するループ系大好きで…!
……じゃなくて、SMAPですよ!w 芸人・コメディアンが主役を張るバラエティの世界で20年間「アイドル」として居続けた人たち。アイドルの世界にバラエティの概念を輸入したフロンティア、その立場から見る「いいとも」終了は結構スゴかった。中居、慎吾、つよし、三者三様のスピーチはどれもが「その人らしく」、同時に「その人らしくない」ものでした。下記素敵なエントリを参考資料として引かせて頂きます(ほんとに素敵!大好きです)。

三人のスピーチ全文。思ったこと。 - 尻上がり
http://d.hatena.ne.jp/osiri5/20140401/1396302804
終わるバラエティと終わらないアイドル - インターネットもぐもぐ
http://mogmog.hateblo.jp/entry/2014/04/01/222853

泣いた中居と慎吾、泣かなかったつよし。人間的である部分など殺せ!芸能人は滅私奉公してなんぼじゃ!アイドルとはかく在るべし!っていうストイックな哲学を持った中居とその門下生である慎吾が思いをこらえられずに涙を見せて、ふわーっとしていかにも「優しい」とか「いい人」とか人間的なイメージを振りまいてきたつよしが涙を見せずにあっけらかんと笑う。それぞれが「その人らし」く、またそれぞれが「その人らしからぬ」もので、ああ本当にSMAPは掴んだと思ったら逃げる多面体のグループだなあ、なんて思ったりもしました。巧妙に作り込まれたパブリックイメージとそれを裏切る「本性」が混然となって、どこまでが本当でどこまでが作り物なのかわからない、これがSMAPが魅力的であり続けられる大きな原因なのかもなーとか思ったり。このパブリックイメージへの服従あるいは反論こそがSMAPのキャラクター戦略のすべてでしょう。そう在ってほしい時にそう在ること、視聴者をうまく裏切ること。このバランス感。
そして、以下一人ずつ雑感。

  • 中居が生み出した「終わらないアイドル」

特に中居の「バラエティは終わらないことを目指すもの」論はなんかこう、テレビの真髄でありまた同時に現代を生き抜くアイドルの真髄でもあるんだろうな、と思わされる説得力がある。はるなさんはジャニーズが「終わらない」ことに驚いた、と書かれてましたが、私はベースがジャニーズ…というかSMAPにあるので「アイドルが終わってもいいんだ!」という驚きを(女子ドルとか見ると)感じたりします。終わらないことを目指してくれるのが当たり前だという風潮を植え付けたのはたぶんSMAPだった*3SMAPはいつからいつまでSMAPなのか。きっと死ぬまでSMAPでしょう、なぜならSMAPの頭脳である中居がきっとそのために生きてきたはずだから。中居がどうしてまぁここまでグループ厨になったのか全然知らないんだけどw、中居は「グループを活かす(グループで生きる)」ということを考え、実践に移した最初のジャニーズタレントなのではないだろうか。仲間を出し抜くOne of Themから仲間とともに生き抜くOne for Allへ。SMAPは5人が全員「SMAPイデア」に殉じていますが、それはそのままイコール「中居が理想とするSMAP」への奉仕なのですね。友人が言い放った「SMAPの父はミッチー*4、母が中居くん」という言葉はすごく真理だと思うんだけどwそれはまた別の話。中居のグループへの帰属意識はジャニーズにおける発明とも言っていい。それはこういうインタビューからも、ずっと、おそらくもう25年以上中居が言い続けてきたこと。

だって僕は、もしSMAPじゃなかったら、歌えないし、踊りもそんなにうまくないし、芝居もそんなに好きじゃないし、バラエティも芸人さんに比べたら足下にも及ばないし、基本的には何があるというわけでもないので、やっぱり"運"としか言いようがないですね。
(略)
で、みんな、一人ずつ、木村ならドラマとか、吾郎ちゃんなら舞台とか映画とか、剛はいま韓国語すごい極めてるし、慎吾は慎吾で慎吾ママとかバラエティとかやってるし、全然やってける。僕が一番SMAPを借りてるんです。
だから、僕のSMAP好きは、実際好きでもあるんですけど、SMAPがないと僕が一番まずいタイプなんです。SMAPという名前を力強いバックにしないと、僕はなんにもできない、一人では歌も歌えないし、ドラマもできないし、バラエティも、もちろん、ドームで歌うなんてこともできないです。そんなんだれも来ないっつーの。(笑)
【2002年「広告批評」10月号】
僕にしてもメンバーにしても、トップという意識はまったくないんです。普通のあんちゃんですから、僕ら(笑)。芸能の世界って実力と評価が比例するものではなく、歌や芝居が上手でも出てこられない人もいます。僕より努力している人もいるのに、僕個人でいえば、運だけで来たようなもんです。僕らは環境にすごく恵まれていたんです。バラエティーは未知の世界でしたが、番組のスタッフやテレビ局の人に育てられた。
【「AERA」5月6日/13日号】

「バラエティも芸人さんに比べたら足下にも及ばない」という中居の自意識、あるいはコンプレックスは、きっと「いいとも」に出始めた時から20年間消えずにずっとあった。それが今回、皮肉にも「いいとも」のグランドフィナーレという集大成の場で成果をあげたことは、本当に美しいストーリーだなと思う。スピーチの直前、さんまがいて、ダウンタウンウンナンが来て、タブーとされていたとんねるず爆笑問題も来た。ナイナイも来た。こんなお祭り騒ぎの場で「仕切って!」と言われて壇上に上がったのは、20年間ずっと「アイドル」で在り続けた門外漢の中居だった。でもこの「芸人のルール」で支配された場をまとめあげる役目は芸人さんには決して為し得なかったはず。本質的に門外漢で在り続けた中居だからこそ任された、「お笑い怪獣」たちをまとめるという大仕事は、中居が20年間培ってきたものの集大成でもあったと思います。そして芸人の土俵で「アイドルとして」仕事をできたことは、中居のアイドルとしての25年間を逆説的に肯定してくれるものだったんじゃないかな。
「いかにSMAPを終わらせないか」に尽くしてきて、また一生を捧げるであろう中居が、今回家を一つ失った。これから中居はきっと全力で「家」の最たるものであるスマスマを守っていくのでしょう。これはSMAPを守るよりも難しいことかもしれない。だって本人たちの意識ではもはやどうしようもない。局側の都合、スポンサーの都合、事務所の都合、すべてが絡み合った恐るべき「家」を中居はどう守っていくのか。計り知れぬ業を背負えば背負うほど中居は美しい。すごく楽しみです。

  • つよしが見せた幼児性という強さ

つよしは天使だなあ…で終わらせたいところではあるw いやほんとこの人の天使性なんでしょうね。幼児性とも言えるかな。あっけらかんと、笑いすら見せてこの場にいられたことがただただすごいと、何の悔いもなくそれだけを言い放っている。弱さを見せることが強さだとか言いますけれども、あの場にいたのが強く在ろうとする中居と慎吾だからこそ、より際立ってたように思います。この人ほんと底が見えないよねw つよしと言えばスピーチよりも、その前週のスマスマで酒解禁したくだりの方がスゴかったわけですが。「あの事件」以来頑なに、5年間もの間、どんなにメンバーが「もういいじゃん」と言っても酒を飲まなかったつよし。それが(もともとは中居の仕組んだであろうw)タモリさんの「乾杯しよう」というひとことで赦された。あの時に見せた戸惑ったような、泣きそうな、いびつだけど何かが吹っ切れたような笑顔が、つよしの5年間を物語っていたのでしょう。スマヲタとしては「家」を失ったことよりも、SMAPへの禊の済んだつよしがどうSMAPとして生きていくのかが楽しみでなりません。以下参考文献引用。

若い人たちもいっぱい出てくるけど、やっぱり好きなことをやっているのがいいのかなって思います。この世界でどうすれば生き残れるかということより、楽しんだ者勝ちだと思う、僕のスタイルは。」
SMAPは10年後、どうなっていると予想しますか。)
「10年後ってすごいね。海外のアーティストのかっこいいおじさんたちってすごく刺激的なので、そういうかっこいいおじさんのグループになれたらステキだね。」
【「AERA」5月6日/13日号】
「コマーシャルは、おかしなことでも、やってるうちに楽しくなっちゃうというのはありますね。(略)企画、見せられたときも、なんか「変なの」くらいで、でも「別になんかなあ」と思っちゃうほうだから。僕、あんまり自分の意見を言ったりしないんです。いやだとかも言わない。どうしてかと言うと、やってみないとわからないと思うから。」
【2002年「広告批評」10月号】

  • 芸能人という生き方しか知らない慎吾の悲哀

で、慎吾。これはもうTwitterでも散々書いたから逆に何書いていいかわかんないやつwなので、貼っときますね。

小学生の頃からSMAPだった慎吾は、その賢さゆえに中居のDNAの継承者となり、25年以上もスーパーアイドルのままで生きてしまった。数万人のファンの前では泣かないのに、画面の向こうに何千万人がいるテレビでは泣いてしまうという、「テレビの中に住んでる人」として生きることに慣れてしまった慎吾の悲哀がつらい。だからこそ最高に信頼できて、最高に愛しいのです。一人の少年が一生を賭してなす仕事なんて信頼しないはずがないし、愛さずにはいられない。この悲哀を表に出さないことこそ美徳として生きてきたはずだから、余計にそのかけらが見えてしまった時の衝撃は計り知れません。「これからも辛かったり苦しかったりしても笑ってもいいかな」が矛盾にならないという、人間とアイドルの板挟みの悲哀、そして崇高さですよ。あのスピーチの衝撃何なんだろって考えたらやっぱ「感情を持ってしまったロボットが涙を流す」だよな〜。SFのベタとして何億年使われ続けたフィクションの定石がノンフィクションで成立した世界初の例なのではないかw あれだけぐちゃぐちゃに泣いた慎吾だけど、翌日にはいつもの笑顔を貼りつけて「慎吾ちゃん」をやっている。これが不自然に見えないのは、慎吾が「慎吾ちゃん」として生きてきた時間の長さゆえでしょうか。だからといって「ああこんなに元気いっぱいなのに、」って裏を勝手に想像する余地を完璧に排除するところ含めて、やっぱり慎吾は哀しい。だからといってやっぱり「ここから先は人間・香取慎吾で生きていいよ」なんて口が裂けても言えないのは、慎吾がそういう生き方に少なからず誇りを持ってやっているからでしょう。25年間もの時間をかけて香取慎吾という人間が費やした生き様を否定することなんて誰にもできないし、この世界の誰もしてはならない。スマヲタはそんな慎吾の悲哀に気づかないふりをして、ただただ慎吾かわいいね〜って言いながら、この人が少しでも幸せにSMAPとして生きていられますようにと願うことしかできません。以下参考文献。

僕は中学までしか行ってなくて、それなのに家庭教師役やらしてもらってると、SMAPのメンバーが「お前高校も行ってないのに何やってんだよ」って突っこんでくる、そういうのも面白い。(略)中学出て高校出て大学入って、という流れもあるかもしれないけど、そうじゃないところで、僕にはこういうところもあるんだぞって、ちょっとそういうこともあるでしょう。
でも、僕は中居クンなんかと五つ年齢が離れてるから、最初の頃なんて特にすごいお兄さんで、たぶん幸せな末っ子だったんでしょうね。直接見たことないけど、僕がある程度大きくなってから、よく中居クンに「お前らになんかあったら、オレが怒られるからやめろ」って言われた。やっぱり年上だから怒られ役をやってたんでしょうね。僕はなんにもだれからも怒られず、上が怒られたり悪いことしたりしてるのを下から見て、あ、あれやっちゃうとダメなんだ、あれやると怒られるって学びながら、いいところだけ全部もらおうという、そういうポジションでやってきましたから。(笑)
【2002年「広告批評」10月号】
SMAPは10年後、どうなっていると予想しますか。)
(略)基本的にアイドルなんです、僕らは。いくつになってもアイドルしているなかで、10年後って、アイドルグループの35年ということですよねぇ(笑)。それって、もちろん自分たちも経験していないし、経験した人たちもなかなかいないし、もう想像がつかないです。
(もう一度生まれ変わったら何になりたいですか?)
もう生まれ変わらなくてもいいです。いやぁ。もう十分ですね。いろいろな経験が、ありすぎて、いまをまっとうしたいです。
【「AERA」5月6日/13日号】

SMAPはここ1〜2年くらいで、よく自分たちを「アイドル」だと形容するようになった。「アイドル」らしからぬことをやり尽くしたアラフォーの人たちがたどり着く「アイドル」という境地はいったい何なんでしょうか。慎吾が言うように、ここから先はもう誰にも想像ができない。アイドルSMAPが今直面しているのは「どう老いるか」という問題ではないだろうか。それはSMAPSMAPのまま老いるということで、きっとSMAPSMAPじゃなくなる日はきっと絶対に来ないんだろうなと思う。中居がいる限りSMAPSMAPだし、中居が手放してしまってもそこにはその遺伝子を受け継いだ慎吾がいるはず。なので、ここから先はもう「どう老いるか」しかないのです。そしてこの「SMAPの老い先」という壮大すぎるテーマの中で「いいとも」の終わりはすごく大きな通過点だったでしょう、特に3人にとっては。スマヲタとしては「いいとも以後」のSMAPがどう生きていくのかが楽しみ(という言葉は適切じゃないかもしれないけど)になりました。日本最高峰のアイドルであれば、老い先すらも至高のエンターテインメントになると信じてるから。……っていいとも話からだいぶズレちゃったな。あ、そうだタモリさん来年のお正月は慎吾もおうちに呼んであげてw
ついでに、過去のSMAP論考など〜〜。タモリ本の次はSMAP本が読みたいな!(チラッチラッ)
id:LOVEMACHINES:20090604:1244114616(つよし復帰のスマスマ感想)
id:LOVEMACHINES:20090421:1240319697(別冊宝島SMAP特集感想)
id:LOVEMACHINES:20081208:1228669170(中居のアイドル哲学が伺える中居×慎吾対談書き起こし)

*1:っていうか、日本人にとっていいともへの愛って別にことさら口に出すようなもんでもないよね…

*2:厨二と呼んでくれて構わん!!大好きだ!!

*3:それがここ数年で脱退やら何やらで、逆説的に「あ、これ当たり前じゃないんだ」って気づかされた

*4:飯島氏