えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。

諸事情で本を読まなければならないので久々に「文学」とカテゴライズされる文字群を眺めていたりします。

檸檬 (集英社文庫)

檸檬 (集英社文庫)

好きだなぁー。
梶井基次郎の文章は「文学家の感性」が如実に表れていますね。即ち、鋭い感性を持ちすぎたための狂気及び不幸。気を張っていないと見えないものが日常的に見えてしまう恐怖。聞こえないはずの超音波が聞こえてしまう苦労。例えばひとつの檸檬を爆弾に見立てる感性とか桜の樹の下に死体を見たりする感性。そういう人が見ている世界は私たちには若干狂気染みて感じられるのだけど、梶井基次郎のすごいところはそういう狂気を桜の花やレモンの鮮やかで高潔な色彩が包み込んでいるところなんだなーぁと表題作及び「桜の樹の下には」を読んで思います。ヴェールに包まれた狂気は美しい。恐怖の対象としての狂気でなく、神秘としての狂気。どう足掻いても美しくしかならない言葉の数々。この感性を持って生まれた梶井はやはり作家として生きるしか道は無かったんじゃろうなぁと70年前の人に思いを馳せた冬の午後でした。
桜関連で言うとこっちも大好き!
桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

桜と狂気は切り離せない!すると、その桜の下で酒宴を催す私たちってのは一体何なんでしょうか。