2007年8月の頭ん中(エイター論移植)

前idにあげた厨くせえ考察エントリを読み返してたんだけど、エイターのやつが意外とよくできてたので移植移植。もうこん時ほど頭使えなくなってるので異論反論は受け付けませんw。ちなみに前idをなぜプラベモードにしているかと言えば、そっからリンクでこっちに来る人が多いからです。おまえらそろそろブクマしろ。

そのいち

エイトファンのブログ(ブロガー?)の印象。

ということでエイト系ネタ振りあざーす!です。エイト系、結構多いんですよ。ここの考察カテ辿ってってもなぜかエイトさんに関する事が多いというwここ一年で一生分くらいエイトのことを考えた気がするwなんででしょうかねー。やっぱ私が「そこそこアウェイの人」だからでしょうか。んじゃあちょっと、カタい調子で行きます。
実はわたくしエイトファンの方と直接的に触れ合う機会ってのがあんまり無いもので、コンサート行ってとかブログ読んでとかの印象で話を進めます*1。そいで、うーんどうもコンサート会場に居る女子とはてなエイト女子では印象が違うな、と思うんですが、それってもしかして「eighter」と「エイトファン」の乖離ゆえ、なのかもしれないなーと。これはてなの人だからeighterと自称しないとかそういう意味じゃなくて、ファン層全体に対する印象ですけど*2。「eighter」って確かメンバーの誰かが言い出したんでしたっけ?すっごい巧みな単語だよねコレ。「名付け」行為自体の意義を上手く利用できているっちゅーか。例えば、パソコンなりiPodなり、愛機に名前を付けるってよくするじゃないですか(私もします)。それは即ち無機質であるモノを擬人化してるわけですね。すると、その無機質なモノに感情が生まれる(ように感じる)。もっと具体的に言うと、パソコンに「バッカだなお前は!なんでそんな単語も変換できないんだ!」と怒る行為、これは本来無機質であるはずのパソコンにユーザーが人格を与えているわけです。まぁ愛してるから人格を与えたくもなるんですが、「名付け」はその極地ですよね。うーんそんなアメリカ哲学みたいな例出さなくたって、買ってきた犬に名前を付けるとかでも良いんですけど。あ、こっちのほうが解りやすい。名前を付けることで動き出す(人が与えた後天的な)人格、ってありますわな。名前を付けるというのは愛の証拠であり、愛の始まりであり。
で、話を戻すと「eighter」という「名前」、これは顕著だと思うんだな。「エイトファン」という、個の集合でしかないぼんやりとした概念のちょうど対称に「eighter」という言葉があるんじゃないかしらん。しかも「エイトファン」、これは便宜上与えられているだけの呼び名に過ぎず、帰納*3です。その上somebodyはnobody*4だから、輪郭があるようで全く無い。対照的に「eighter」は、「”自分はeighterである”という自覚」から「eighter」としての性格が生まれる、その点で言わば演繹的な概念なのではないでしょうか?*5なんだろな、「私B型!→だから私は熱しやすく冷めやすい」みたいに無意識に暗示をかけるっつーか。……うーん、なんか上手いこと言い表せないのが歯痒いのですが、なんとなく決定的な違いがある気がするのですよ、私には。
そいでもって、(私の理論がまあまあ的を射ていると仮定して)こうしてある確固たる人格を築いた「eighter」*6、こりゃ諸刃の刃で。一体感を煽るためにはこれ以上ないほど効果を発揮しますが、逆に「内輪受け」「馴れ合い」「余所者の排除」の傾向生み出すことにも成り得ます。「eighter」という単語がアジテーションのために作られたとは思えないけど、結果的にそう成り得ることがあるっていうのは知っておくべきじゃないかなー。私がそういうレトリック、言葉の持つ影響力に過敏なだけかもしれないけれど。しかもこういう解りやすい言葉って人をすぐに魅了するから。
そんな「eighter」と「エイトファン」が同じコミュニティに属している結果、同じ対象を見ていても見え方が全く違う、という事態が起き得ます。それぞれに考える「自分とエイト」の前提が違うんだから当たり前なんだけども*7。すると、「エイトを愛する者」という単位でファンをまるっと見ても、誰にでも同じ程度ある「共通概念」が全く見当たらない状況が生まれ得ます。そしたら本来「エイトを愛する」と言うたった一つの条件で結成されたコミュニティなのに、純粋に対象を愛する前にファン同士の概念の齟齬が生じる、と。しかも同じコミュニティの中に居るから直接的な対決・討論も生まれにくい*8。これはちょっと、純粋にアイドルを愛するためには不必要かな、と思います。しかも大は小を抱え込みたがるから、大であろう「eighter」がその主張に合わない人たちを攻撃してないかな、と不安である*9

続き

  • そもそもなんでこうなったかを考えるの巻

「つーかもともとeighterって誰発信なのよ」という呟きに色々レスポンス頂きまして、その結果

web発信ですばるさんが以前、「すばるファンは一人ひとりが特別扱いでみんなVIP」と言ってたことがあって。

という情報を頂きましてそしてこの情報下さった方は

もともとはすばるさんが親しみを込めてファンを呼び掛ける為の言葉だったのではないかなー

…と、推論されてるんですね。その他「使い始めたのは渋谷さんすよー」というタレコミも頂いてるのでひとまずこれは事実、とします。純粋な意味ではやっぱり「関ジャニ∞のファン」を指すようですね。で、それが如何にして歓迎or拒否という、同じ「ファン」なのに2つのベクトルを生み出してしまう言葉になったのか。これが一番難しいんですけど、なんつーかな、世俗化の結果、な気がします。指摘されてる方もいらっしゃいましたが、本来これはすばるさん若しくはエイトのメンバーがファンに呼びかける際に使い始めた呼称だとする。そして様々なメディアを通して普及する、と。するとそれは今までほんの数名しか使うことの許されなかったコトバが一気に数万人に普及することで、やはりその過程で尾が付きひれが付きするんでしょうな。つまりここが歪みの原因なんじゃないかと。上述の引用をさせて頂いた方が仰るには(引用ばっかでほんとすいませんんんん)渋谷さんの使う”eighter”=「及川ミッチーが言うところの「ベイベー」みたいな。」と。もうこれすげー感動しましたwなるほど。このベイベーを例に取ると、ミッチーがファンに向けて「ベイベー」と呼ぶのは通用するけれどもファンが自分たちを「ベイベー」と呼ぶこと、つまり「私はベイベーです」は大概の場合不自然である*10。これをeighterという言葉に応用すると不思議な事が起きます。つまり、eighterという言葉の固有名詞性により、「私はeighterです」が通用するんですよ。「ベイベー」に「呼びかける(相手が居ることが前提)」意味が含まれているのに対し、「eighter」にはそれ自身が独立した存在となり得る固有名詞性があるわけです。これで「使えるのは(ファンに呼びかけ得る)エイトメンバーだけ」という条件が消えて、「eighter」は世俗化する。そしてファン自身が「私(たち)=eighter」という意識を持ち始めると、帰納的に「eighter」という単語に他の意味や条件がついてきます。そして本来広く「エイトのファン」という意味でしか用いられなかった「eighter」が、「eighterかくあるべし!」や「eighterはこんなことしません!」という風に限定されるわけだ*11。限定されるとその範囲は狭まります。例えば「女の子」という意味に「可愛い」「背が小さい」云々…と条件をつけていくにつれて、それが実現される範囲は狭くなってきますね。図にするとこうだ。

(きたなくてすいません☆)(せめて文字は手書きにしなかったところが進歩です)
こうなると、「(すばるさんの言う意味では)eighterであるけれども、(限定されてしまった意味では)eighterでない」という矛盾を抱えるファンが出てきます。「アイドル発信」「自分らで作り上げた」というところがまず違うから本来矛盾にはなり得ないんだけど、それを「eighter」という言葉が丸呑みにして抱え込んでしまったわけですね。ああ、抽象的な言葉って難しい。
…で、これだけなら別にあんまりトラブルは発生しないはずです。お互いの概念が矛盾してるのに同じ言葉で話が進行してしまうってのはよくあることだし(アンジャッシュのコントみたいにさ)。なのにこれが何故顕在化したか。私の暴論ですが、その「条件」の部分が突出していた、からではないかしらん?例えば「女の子であり、ハーフである」子が居たとする。この場合、クローズアップされるのは「ハーフ」の方でしょう。「女の子である、ただしハーフである」といった風に「女の子」という莫大な概念を限定しているのですね。このように、人は概要的な部分をクローズアップしがちです。しかもそれは何も知らない第三者から見た際のアイデンティティとなる部分でもあるのでは?そのハーフの女の子が実は落語が趣味だったりするじゃん。すると、仲の良い友達はそういう内面で彼女のアイデンティティを定めますわな。でも何も知らない人は「ほら、あのハーフの子」としか説明できないはずです。やべー話がややこしくなってきた。とにかく、外から見た人あるいは内部の性質に明るくない人は「eighter」を「エイトファン」というぼんやりしたものでなく、その中の一部の「限定されたeighter」として認識するんじゃないか。それはそのままeighterのイメージにも繋がって。私はそんなにエイト事情に詳しくないので、「限定された」eighterがどんな性質を持つか、実感したことはありません。話にはちょいちょい聞きますけど。それがあげつらわれる、ってことはやっぱりただのエイトファンではない、何らかの特徴(限定)があるんでしょうよ。良くも悪くも。
ただ、そもそも渋谷さん発信のeighterにも曖昧さがある。つまり、どの程度の愛で渋谷さんの意図する「eighter」になれるか、って話っすよ。ちょっと興味がある程度?キャーキャー言える程度?それともコンサート観に遠征する程度?このへんがまた、明言されてないだろうから(まぁ普通しないよね…)微妙なんだと思う。でも少なくとも「eighter」という言葉が観客を選んでしまう性質を持ってることは否めないよねー。この理由はまだあんまし考えてないけど。「eighter」って単語は基本的に「エイト至上主義」みたいな人にしか通じない気がする。そうすると、一番好きなのはカツンだけどエイトも嫌いじゃない、とかいう人たち(たぶんすげー多い)を客として見てないのか?どうなんだ?そのへんは排除して良いところなのか??一回Jの水を飲んでしまったファンは大体事務所内グループ(あるいは個人)を循環するもんだけど、それを拒否するっていうのは新しいスタイルだなぁー。それだとeighterという言葉を素直に受け入れられるのはご新規さんか古参ファンかってことになっちゃうけれども。いいのかな。それって結構リスキーっちゅーかギャンブラーな気がする。

しかしなんでこんなん書いてたか自分でも思いだせねえ。あれか?内くんがドーム来て上がったやつかな?あれいつだっけ。もう忘れた。

*1:すいません、ブログ(ブロガー)という点から離れて行ってる…かも…

*2:でも私が見てるはてなエイトスキーさんはeighter自称してる方はあんまりいない気がする

*3:エイトが好き→じゃあ自分はエイトファンだ、ってなもんで

*4:少年頭脳カトリ」より。これ哲学的でおもろいよー

*5:「eighter」という概念が生まれる過程は帰納的だと思うけど…ううっ、いちいちフォロー入れるのがめんどくせえ

*6:わたしゃその人格についてはよく知りませんがな

*7:またフォロー。別にエイターさんがみんな同じこと考えてるってわけじゃなくて、傾向として似てるんじゃ?って意味ですお

*8:最近、うちクン事変の際にこの珍しい対決が起きたんじゃないかとちょっと思う

*9:つーか実際アンケートでも事変について割と冷静な意見書いたら批判食らった、という方が…

*10:い、いらっしゃったらごめんなさいね…。

*11:この際やっぱりパワフルな(だがやや情念に左右され易い)若人の大きな声が効果的な役割を果たすと思う。